院長じぶん物語


院長・歯科医師
三宅 甲太郎  Kotaro Miyake
 
学歴:成城学園高校 卒業。日本歯科大学 歯学部卒業。
職歴:医療法人鉄焦会亀田総合病院歯科センター臨床研修修了。同病院勤務。中野区東中野原歯科医院勤務。港区赤坂寺西歯科医院勤務。寺西邦彦先生に師事。目黒区自由が丘に開業
認定医:日本顎咬合学会かみあわせ認定医
学会:日本歯周病学会、口腔インプラント学会、日本顎咬合学会、AO(米国インプラント学会)
勉強会:スタディーグループ赤坂会理事、東京SJCD、CMS
 
 
 1981年3月、東京都に生まれる。
父は外科医、母は専業主婦。父方の祖父は内科医、叔母は薬剤師、母方の祖父は歯科医、伯父も歯科医、伯母は歯科衛生士と医療に携わる者が多い家族だった。幼少期は活発ではあったが、3月生まれということもあり体が小さく、そして体が弱かった。小児ぜんそくやアトピー性皮膚炎、しょっちゅう熱発していた。

 

父から影響を受けはじめた幼少時代 

私が小学生だった頃、父は私のアトピー性皮膚炎もあり外科医から皮膚科医へコンバートした。成城学園幼稚園に入学し、その後高校まで成城学園にて学生生活を過ごす。学生時代は明るく活発な少年。毎日外で遊び、泥だらけになって帰っていた。小学校では4年間リトルリーグ、小学校から高校までバスケットボール部に所属。当時、高校のバスケットボール部マネージャーだった妻と15年後に結婚。学生時代はあまり勉強熱心ではなく、部活や友人とのアフタースクールを楽しんでいた。がんばって受験勉強をしてきたわけではなかったので、高校卒業後は予備校生となった。
 

自らを厳しい環境へ置くことで見えてきたこと

父は医師であり、家族も医療系が多かった。どちらかと言えば理系だったので、とりあえず理系のトップである医学部を目指した。私は厳しい環境に身を置き自分を叩き直さなければと考え、今はなくなってしまったが、厳しい事で有名な全寮制の予備校に入れてもらった。今思えば、ここで親離れし、精神的にも鍛えられたのだと思う。一生懸命頑張って受験勉強はしたものの、医学部は不合格。いくつかの歯学部に合格した。色々考え相談した結果、祖父、伯父の母校である日本歯科大学歯学部に進学した。
 

祖父の影響と大学時代

実家の近くに祖父の歯科医院があり、幼少の頃より歯科には親しみがあった。小学生のころ祖父は、よく風呂で歯科治療の話を話してくれた。歯科に対してそれほど強い思いはなかった。大学ではスキューバダイビングと軽音楽の部活に入った。ダイビングは伊豆、沖縄の離島、小笠原などで潜った。PADIアドバンスを取得し、今でも年1回は学会ついでに沖縄等でダイビングをしている。軽音楽部での担当した楽器はドラム。今は全く触っていないが、音楽鑑賞は今でも好きだ。また、夏や春の長期休みには、バックパックを担ぎ世界を旅した。今までに25か国以上旅してきた。今でも旅行は長期休暇の楽しみである。飛行機のチケットだけを購入し、細かい旅程は立てず、アポなしの安宿に宿泊し、電車や深夜バスを乗り継ぎ色々な国を見て回った。色々な国の人々に触れ、文化や歴史、考え方を知った。今まで見たこともないような景色を見て、食べたことの無いものを食べた。そして日本という国を再確認した。
 

大学卒業のその先に選んだ道

自分自身では、行動力、積極性、勇気、国際社会に打って出たいと思う野望を得た。だが、私は変わらず大学でもあまり勉強熱心ではなく、部活や友人とのアフタースクールを楽しんだ。さすがに大学6年生の時には国家試験に向け、朝から晩まで死に物狂いで頑張り、無事に大学卒業し国家試験に合格した。そしてその後の進路だが、歯科大学卒業後の進路にもいくつか道がある。大学院、大学病院勤務、研究者、教育者、役人、企業勤務、開業医とあるが、私は開業医を選んだ。理由は、もう机上での勉強は嫌だったこと、組織に入らず自分の自由に仕事をして生きたいと思ったこと、また祖父も開業医であり憧れたがあったことだ。
 

亀田総合病院で得たもの

歯科は6年制大学で旧友たちよりも社会人開始に遅れをとっていると感じていたため、一般的な歯科医院と同等の治療レベルをできるだけ早く習得したかった。そして早く一人前の社会人として認められたかった。そこで、色々な経験ができ、多くの患者さんが来て手を動かせる場所を探した。そして卒業後は千葉県鴨川市にある医療法人鉄焦会亀田総合病院歯科センターに臨床研修医として入職した。その後研修含め3年半在籍した。臨床研修医時代は、一般歯科、小児歯科、矯正歯科、口腔外科と歯科全体を網羅するように研修した。医科の研修医との交流や自分の力で対応しなければいけない歯科当直も貴重な経験だった。1年の研修明けから一般歯科医として亀田総合病院に就職した。とにかく多くの患者さんが来る病院だった。研修明けから多くの患者さんが配当された。先輩にアドバイスをもらいながら、見よう見まねで治療を覚えていった。治療の質よりも量をこなし必要最低限な治療技術を身につけた。亀田は大きな総合病院ゆえ、色々な経験ができた。医科との連携、在宅医療、NST、学校や企業の検診、全身麻酔のオペ(アシスタント)など小さな診療所や歯科単科の病院では経験できない多くを経験できた。また、多くの友人、知人ができ、志の高い同志から仕事に対し良い刺激をうけた。
 

どんどん強くなる歯科への思い

実際に臨床を体験し、患者さんと向き合い、初めて歯科の知識、技術の大切さを感じ始めた。このころから歯科に対し興味が強くなっていった。また歯科医になって1年目だったが、歯科医師の祖父が亡くなった。祖父は仕事が好きな人で仕事を辞めた途端に亡くなってしまった。歯科好きの祖父が亡くなり、1日の大半の時間を仕事に費やしているのだから毎日の仕事を楽しむ人間になろうと思った。歯科を好きになり始めたきっかけかもしれない。亀田病院退職後、東京都中野区の歯科医院に就職した。亀田病院時代の恩師の池田教授のご紹介を受けた歯科医院で、予防歯科を熱心にされている先生とのことだった。鴨川から帰京した私は、患者さんからのクレームもなく、最低限の治療は身に着けたと思っていた。
 

そして東京へ

東京では地方よりもより治療の質が求められる。これからは東京にも戻ったことだし歯科治療に関する勉強会、セミナー、講演会に積極的に参加して歯科の知識、技術の研鑽をしていこうと考えていた。家も恵比寿に引っ越し、妻と生活を始めた。中野区の歯科医院では、予防歯科について学んだ。また、歯科医院経営というところも教えてもらった。今思えばこの医院の予防歯科は本当の意味での予防ではなかったが、私にその概念を植え付けてくれたことは大きい。この医院で行われていたのはヘルスプロモーション型の予防歯科で、患者さんの健康維持をサポートするような方法だった。例えるなら患者自身が自転車で坂道を漕いでいる所を後ろから支える感じだ。患者さんの自発的な健康維持のサポートだ。患者を一様に定期的に検査や清掃を行い、経過をみていく。この方法も決して悪い事はない。何もしないよりははるかに良いと思う。ただこの方法では、定期的に健診していても虫歯や歯周病が進行している方も中にはいた。それは生体には個体差があり、また環境も各々違う。口の中も同じで虫歯になりやすい人、歯周病になりやすい人、生活習慣や文化の違いなど、虫歯や歯周病のリスクにも個人差がある。私は一人一人に合ったオーダーメイドのメインテナンスが必要なのではないかと考えている。
 

私の考える予防とは

リスクについては問診、X線、細菌検査や習慣、過去の修復、かみ合わせなどから読み取り、そこから割り出された現況と予測をもとに、定期検査、清掃など予防処置をしていく。このようにしっかりと予測と管理をしてこそ予防歯科ではないかと今私は考えている。中野の歯科医院には2年間勤務した。スタッフともうまくいっていたと思うし、仕事も任せてもらっていた。2年で辞めた理由は、もっと歯科に対して知識技術が必要だと感じたからだ。中野の歯科医院勤務中に6か月の歯科臨床セミナーに100万円以上かけて参加した。そのセミナーはお口の中をトータルで考えた治療をしようというものだった。受講動機は、予防歯科はとても大切だが、本当に長期間快適な状態で管理していくにはもっとしっかりとした治療技術が必要だと感じたからだ。そのセミナーは目からうろこだった。自分のあまりの知識の無さ、技術の低さに愕然とした。またそこで習ってきたことをいざ臨床で使ってみようとしてもうまくいかなかった。私には基礎がなかった。たたき上げで、とにかく大挙する患者さんを実践で先輩先生の見よう見まねでここまできた。知識も国家試験に合格するためだけの知識プラスアルファくらいしか持ち合わせていなかった。このセミナーを受け、お口の中をトータルで考えるような高度な治療を行うのにはまず知識をつけないといけないと思い、とにかく歯科治療の専門書を読み漁った。ただそれでもやはり実際の臨床に生かすのは難しかった。そして、自分にはセミナーや書籍だけではあのような高度な治療はできないと考え、中野の歯科医院を辞め、とにかく歯科の勉強になる医院を探した。
 

恩師との出会い

このころにはすっかり歯科という仕事が大好きになっていた。常に歯科の書籍を読み、友人とは歯科治療の話ばかりしていた。学生時代あんなに勉強嫌いだったのに、歯科の勉強は全く苦にならず、すごく楽しんで学べた。そして、知人に港区赤坂の寺西歯科医院を紹介された。この医院は私の考えるお口をトータルで考える包括的な治療を日々の治療から行っている医院であった。また院長の寺西邦彦先生は歯科業界では有名で、歯科医師向けに講演やセミナーを行っている先生だ。また高い技術とともに厳しいことでも有名な歯科医院だった。入職直前は務めるかどうか悩み、予備校時代が頭によぎったが、自分の希望に近い治療を実践できるのであればと飛び込んだ。そこで一から指導してもらった。厳しくも愛ある指導を受け、私の望みであったトータルで考えた治療を実践できるようになっていった。この医院では山のように多くのことを学んだ。
 

叩き上げの真髄に迫る

治療以外では、社会人には一般常識であろうこと、言葉遣い、PCの使い方から背広の着方まで、治療では本当に1から、問診の取り方から虫歯治療、歯周病治療、かみ合わせ、入れ歯、インプラント治療、、、ここには書ききれないが本当に多くを学んだ。寺西先生は歯科のことはもちろんのこと、なんでも良く知ってらっしゃる先生だった。歯科のこれまでどのような経緯で考えられてきたのかという歴史、製品の過去から現在まで誰も知りえないようなことも知っていた。しかしどんな高度な治療よりも最初の診査、診断、治療計画が歯科治療において何よりも大切なことだと学んだ。当たり前のように思われるかもしれないが、これが結構難しい事なのだ。信頼できる資料をとり、原因の究明などをとにかく深く考える。色々なことを緻密に考えた結果が診断、治療計画なのだ。また寺西先生が主催する勉強会に参加させていただくようになり、そこで先輩方から愛ある指導を頂き切磋琢磨している。寺西歯科医院に勤務中、対外的な活動も行った。
 

新たな新境地へ

所属の勉強会で大人数を前に症例発表をしたり、またその発表で賞を頂いたり、歯科の雑誌に載ったりと今まではひとつもできなかったような取り組みができるようになった。また昔からの夢の1つであった海外への挑戦ができた。アメリカのインプラント学会において英語で発表することができた。これはまだ足がかりとしてこらからもどんどん挑戦していきたいと思っているが、自分としては大きな一歩だ。寺西歯科医院では色々と大変なことや厳しい事もあったが、5年前私が望んだ歯科医師に一歩近づくことができたと確信している。歯科の学問には1つの正解だけがあるわけではなく、様々な考え方がある。それを支えるのは研究や論文になるのだが、臨床においては論文がすべて正しいわけでもない。科学的根拠ある論文をベースに自分の知識と経験を照らし合わせ、また先輩の経験なども重ね合わせ、何が自分にとっての正解なのかを導かなければならない。
 

歯科臨床の頂点を目指して

歯科治療は歯科医師の責任のもと治療が行われている。自分の導いた正解には、自らが責任をとらなければならない。私は歯科臨床の絶対的な正解を見つけたわけではないが、ひとつの道筋を見つけたと思っている。私の歯科臨床はまだ頂点ではない。寺西歯科医院での経験が自分の中の幹になり、これから多くの枝葉をつけていく。幹がしっかりしていれば枝葉によって大きくぶれることはない。これからも学び続けていきたいと思う。医療は日進月歩。絶えず勉強していかなければおいて行かれてしまう。昔はあんなに勉強嫌いだったのに、今では楽しんで勉強できるようになった。それは歯科という仕事を楽しんでいる証拠ではなかろうか。ここ数年ほとんどの休日をセミナーや講習会などに費やしてきた。それは苦痛ではなく、勉強の為や明日の臨床力向上もあるが、自らの楽しみの1つでもある。歯科は仕事でもあるが趣味でもある。私は、社会人は起きている時間のほとんど、仕事をしているのだから仕事が楽しくなくちゃ人生面白くないと考えている。これからも人生を楽しんでいけるように、もっと勉強して歯科を突き詰めていきたいと思う。

診療案内

痛みの少ない虫歯治療を実践しています。また治療後も長く使える歯になるように治療を行っていきます。

成人のほとんどの方が歯周病にかかっていると言われています。予防も大切にしながら治療を進めます。

歯を失ってしまった場合の選択肢にインプラントがあります。丁寧にご説明をしながら治療をいたします。

入れ歯も歯を失った場合の治療になります。メリットとデメリットを分かりやすくご説明いたします。

より歯を美しく見せる為にあるのが美容歯科治療です。見本を見ながらご説明をさせていただきます。

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